いつかその時がくる日まで
好きな人がいるだとか、いないだとか。ありふれた、どこでも話題にされているようなくだらない情報。誰が誰を好きだとか、そんな話はいつだって下らないものだと思っていた。
時にやんわりと向けられる好意に耐えられず、決してその気持ちに応えないような素振りを見せて、何度も女子生徒の淡い夢を終わらせたこともあった。淡い想いが確信に似た気持ちに変わった瞬間が一番厄介だ。やり場のない罪悪感を感じる度に、いつか自分も好意を持った相手から同じようなことをされるのだろうかと佐久間は頭を悩ませた。
「また告白されたのか」
隣には源田がいた。佐久間はすっかりと姿が見えなくなった女子生徒の後ろ姿を思い返して、ため息をついた。
源田はそのため息に表情を変えることなく、佐久間の顔をじっと見ていた。
「見てたのか」
「そんなわけないだろう。盗み聞きをする趣味はない。お前の顔を見たらすぐに分かった。慣れているとはいえ相手の期待に応えられないと分かりつつ、面と向かって返事をするのは大変だっただろう」
「・・・・・・そうだな」
源田はいつだって佐久間のことを認め、労ってくれる。表面だけでなく、しっかりと見えない面の努力まで拾い上げてくれる。見た目や、成果だけじゃなく、しっかりと色んな面から佐久間を見てくれる。心強い味方だ。そんな源田の優しさに触れる度に、佐久間の重たい気持ちは揺れ動いた。
源田を好きになったと自覚したのは少し前の事だった。しかし、一方の源田はどうなのだろう。自分が相手に対して何も思わずに接していた筈が、相手がそれを好意だと都合よく解釈をして迫られた経験が微かな想いを伝えることを阻んだ。自分が源田を好きでも、源田はそんな目で自分のことを見ていない可能性は十分にある。いや、まったくそんな目で見ていない可能性の方が遥かに高い。
源田の隣にいることで、源田の好物や得意な教科、試合中考えていることなんかは誰よりも分かっている筈だが、彼の恋愛面に関してはまったく見当がつかない。源田にも佐久間と同じように好きな人がいるとしたら、相手はきっと自分ではない誰かなのだろうと考え至る度に佐久間はそこで思考を停止させた。
「時間だ。練習に行くぞ」
「ああ」
源田の視線がサッカーコートがある方へと移された。自分よりも高い背丈を追いながら、佐久間は何となしにわざと源田に問いかけた。
「なあ、わざわざ俺をここまで呼びに来たのか?」
特に深い意味はなかった。単に源田が通りがかって、部活に向かうついでに声を掛けた。そんな理由だったり、単純に誰かが佐久間を探していて呼びに来た。この質問に対する答えはそんな理由でも、何でもよかった。
「そうだ」
たった一言。期待はしていなかったが、無意識に求めていた源田からの返事に佐久間は思わず顔が綻びそうになるのを堪えた。それでも僅かに上がりそうになる口角を隠すように、口元に片手を添えて「そうか」とだけ返事をした。わざと味気ないような平然を装った返事をしたつもりが、少しだけ上擦ってしまったような気もする。でも大丈夫だ。きっと、源田には気づかれていないだろう。
◇◇◇
「お前、A組のマドンナに告白されたんだって?」
部室へ向かうため、廊下を歩いていると別のクラスの同級生に呼び止められた。声を掛けられたのは、佐久間ではなく隣を歩いている源田だった。
「マドンナ? ・・・・・・ああ、そうだが?」
一瞬頭に疑問符を思い浮かべるも、心当たりがあったらしく源田は突然の質問を肯定した。
源田は年下の男子生徒に慕われることが多いが、女子生徒からも非常に好意を寄せられやすい。高い身長や、整った顔、誰にでも優しい内面。そして文武両道ときた。これで好意を寄せられないわけがなかった。
ただ、源田はいつもそれを相手が誰であろうと好意に応えることはなかった。それが、件の話題に上がっている男子生徒の憧れのマドンナだったとしてもだ。
「お前、ホントに勿体ないなー!あんな可愛いマドンナに告白されて断るやつなんて、地球上にお前以外いねぇぞ?!」
やはり、源田は断ったようだ。聞くまでもなく分かっていた答えを改めて耳にし、マドンナには申し訳ないが佐久間は密かにほっと胸をなで下ろした。
「・・・・・・何が言いたい?」
源田の珍しく機嫌を損ねたような低い声に、思わず佐久間は源田の横顔をチラリと盗み見た。源田は居心地悪そうに眉間にシワを寄せ、男子生徒のことを睨みつけている。
「マドンナの告白を断るなんてよ、余程彼女作る気がないか、他に好きなやつがいるかのどっちかなんだろ?」
男子生徒は能天気に源田に話を続ける。この男子も、よく怖気付くことなく易々と話を続けられるものだと佐久間は感心させられた。
それと同時に、男子生徒がとんでもない疑問を源田にぶつけた事実に気づき、耳を塞ぎたくなった。
(他に好きなやつ、だと?)
そんなもの。そんな人物の存在を源田の口から聞いたことなんてない。その答えを知ってしまうと、決して誰にも存在さえも知らせるつもりのないこの小さな想いが粉々にされてしまいそうで怖かった。
(頼む。そんなやつ、いないと言ってくれ!)
「そうだ。他に好きなやつがいる。だから断った」
相変わらず、機嫌が悪そうな。うんざりとしている様子の低い声がやけに耳に響いた。
「マジかよ!誰?誰?」
男子生徒の無遠慮な問いかけの声さえも遠くに聞こえる。
今まで心の中にあったものが、どこか遠くへと飛び立ってしまったような喪失感に襲われた。
「・・・・・・誰にも教えるつもりはない」
いいからもう立ち去れ、と言わんばかりに静かに源田が答えた。滅多に聞かないような、冷たい声だった。
「行くぞ、佐久間」
その場を先に立ち去ったのは男子生徒でなく、源田だった。背中からは不機嫌そうな雰囲気が滲み出ている。いつもよりも廊下を歩くペースが早い。大して仲が良くもないのに調子に乗った男子生徒が何か言っているのを背中で聞き流しながら、佐久間は不機嫌そうな背中を追いかけた。
何も話さず、何も言い出せず。沈黙のまま、しばらく歩くと、源田は途中で立ち止まった。佐久間もそれに合わせて足を止めた。
「佐久間がいたのに、場を悪くしてすまなかった」
佐久間の方を振り返り、源田が申し訳なさそうに謝罪をした。先ほどまでの怒気を含んだ雰囲気はもう身にまとっていない。
「いや、俺は何も・・・・・・」
そう答えるしかなかった。源田の一方的に持ちかけられた色恋沙汰の話を止めることも出来ず、佐久間は隣で聞いていることしか出来なかった。そもそも場が悪くなったのは源田のせいではなく、加減が分からない厚かましい男子生徒のせいだ。
そんなことよりも、何よりも。源田に好きな人がいるという事実を認めてしまったことが一番堪えた。こんな時、親友ならば。今までの関係ならば、「頑張れよ」「俺は応援してるからな」と声を掛けるのがきっと最善なんだろうと思うが、そんな思ってもいないような台詞は簡単に言葉にはなってくれない。ただ、縋るところを見失い、無意識の内に握りしめていた拳が震えているだけで、何も言葉に出来なかった。
自分が相手を好きになってしまったとしても、相手も自分を好きだとは限らないと割り切っていたつもりでいたのだが。胸の内に隠したまま伝えるつもりもなかった想いは、そう簡単に自分でさえも誤魔化せないようだ。
恐る恐る、源田の瞳を見つめてみる。藍色の困ったように見下ろす視線は、先ほどの男子生徒に向けられていたものとは違う。
「俺、お前に好きなやつがいたことなんて知らなかった」
目は合わせられなかった。そう呟いた瞬間に思わず目を伏せた。一体あの藍色の瞳は今、どんな風に自分を見つめているのだろう。より一層困ったような、困惑したような色を浮かべているのだろうか。それとも、無遠慮なことを言ってしまったことに対して、先ほどの男子生徒に向けていたような鋭い視線で責めているのだろうか。
「本当は、あんなこと誰にも教えるつもりはなかった。いつか、佐久間にだけ伝えるつもりでいた」
「源田・・・・・・?」
頬が暖かい。源田の大きな手は佐久間の顔へと伸ばされ、頬を優しく包み込んでいた。初めて触れられた体温は暖かいのに、どこかこそばゆい。佐久間は思わず顔を上げた。
自惚れてしまってもいいのだろうか。真剣な瞳が佐久間を捉えている。
「ここから先は場所と日を改めて言わせてくれ」
熱いほどの燃えるような体温と真っ直ぐな瞳が「何を」と明確にしなくとも、源田が佐久間に何を伝えたいのかを明らかにさせている。源田も、佐久間が抱いている気持ちと同じものを佐久間に持っている。
源田の今は言葉にしないその気持ちがただただ嬉しくて、佐久間はゆっくりと頷いた。
「分かった。なるべく早く頼んだぞ」
「ああ」
源田はきっと佐久間の返事が分かっているのだろう。まるで既に返事を聞いたかのように嬉しそうに、目を細めて笑っていた。
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2020 源佐久の日、おめでとう!
源田も佐久間も結構告白慣れしてるイメージが非常に強い。
きっと源田目線だと佐久間が源田のことを好きなんだということは
少し前からお見通しだったんだろうなと思うと萌えます。 2020/01/11