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ふたり

※無印1期終了時点~アウターコードで風丸さんや不動が加入する前の時系列で
源田と佐久間が次第にくっついていくお話。

(※鬼道さんからキャプテンマークを引き継ぐシーンや設定などは完全なねつ造です。) 


 

 キャプテンを務めていた鬼道がサッカーの名門である帝国学園を去り、雷門中へと入学してから早数ヶ月。そのキャプテンの穴を埋めるべく、選抜されたのは鬼道の参謀として鬼道を支えながらも第一線で活躍していた佐久間だった。
「俺が、キャプテン・・・・・・」
鬼道から引き継いだ真っ赤なキャプテンマークは荷が重く、本当にそれを自分が手にしていいものなのかと佐久間を悩ませた。四十年もの無敗記録を残し続け、サッカーの名門学校として世に名を知られている帝国学園のキャプテン。真っ赤なキャプテンマークを左の腕に巻きつけてみたところで、急に強くなれるわけでも、鬼道のような天才ゲームメーカーになれるわけでもない。ただただ、重たいプレッシャーが佐久間にのしかかるだけだった。
佐久間は鬼道に憧れこそしたものの、別段キャプテンに憧れたことはなかった。初めて自分が次期キャプテンになるのだと聞かされた時は、嬉しさや誇らしさよりも不安とプレッシャーの方が勝った。
――そんなに悩むことはない。皆いつだってお前の味方をしてくれる筈だ。
 あまりに佐久間が不安そうな表情をしていたのか、それとも心の内を悟られたのか。鬼道から激励の言葉を贈られたが、佐久間には今一つピンとこなかった。
――帝国を頼んだぞ。
 ゴーグルの奥の瞳は見えなかった。一体、鬼道は何を考えて自分を推薦したのか。帝国学園の勝利を守るキャプテンとして何をしたらいいのか。何も聞けないうちに鬼道は口の端を少し上げ、満足そうに微笑むと新たなチームメイト達の元へと帰っていった。

(果たして俺は、鬼道の期待に応えられているのだろうか)

 意識が朦朧とする中で目覚まし時計の音が部屋に鳴り響く。カーテンのわずかな隙間から白い光が部屋に差し込んでいる。最近、よく夢を見るようになった。見る夢は決まって、キャプテンマークを受け取ったあの日のことばかり。何度も何度もあの日のことばりが夢に出てくるのは、きっとあの日のことが自分の中でまだ引っかかっているからなのだろう。
 朝から色々と考えたい気持ちはやまやまだったが、このまま考え込んでしまっては朝練習に間に合わない。佐久間は考えることをやめ、顔を洗うために起きて早々に洗面所へと向かった。

「今日は何の練習をするんだ?」

  ロッカールームに着いて早々に声を掛けてきたのはゴールキーパーの源田だった。源田は鬼道が去り、キャプテンを任された佐久間に対してよく気にかけてくれる心強いチームメイトの一員で、フットボールフロンティアの予選大会で負傷した時も、佐久間のことを何かと気遣い、支えてくれた頼りになる存在だった。

「練習試合も近いが、基礎練習は怠りたくない。今朝は基礎体力をつけるために走り込みを行う」

「ほう」

 佐久間が鞄から取り出したノートを源田が無遠慮に覗き込んだ。
 佐久間が開いたノートには、鬼道がキャプテンを務めていた時の練習法を思い出せる限り思い出したメニューを目的別に整理して書き記されている。鬼道が行っていた練習法ならきっと、間違いはない筈だ。もちろん、キャプテンとしての責任を担う者として自らも帝国学園がより強くなるための特訓法を手探りではあるが調べ求め、佐久間なりに書き記してみた。しかし、鬼道の練習法の方と比べると効率性や即効性など劣っているような気がして、なかなか実行できずにノートの中に仕舞い込まれたままでいる。

「どちらのメニューにするんだ?」

 源田が目にしたメニューは鬼道の練習法と佐久間が考えた練習法が載っているページだった。双方の練習内容に大差はない。佐久間の中では考えずにとも答えは決まっていたため、間髪入れずに答えた。

「鬼道がいた頃にしていたメニューをしようと思う」

「……分かった」

 一瞬だけ間が空いたような気がした。源田が何かを言いたそうにしていることは分かっていたが、佐久間は気に留めないふりをしてキャプテンマークを左腕に巻いた。
 ロッカールームを後にしてフィールドへ向かうと、既に部員が整列した状態で二人を待っていた。早朝特有の柔らかな色をした空色がフィールドを覆っている。軽やかな風も吹き、決して天気は悪くない筈だったが、それでもどこか空気が重く感じ、小さく深呼吸をして呼吸を整えた。

「おはようございます。キャプテン、今日の指示をお願いします」

 佐久間たちを見るなり二軍のキャプテンが前に出て、佐久間に声を掛けた。二軍のキャプテンの瞳は迷いがなく、真っすぐに佐久間のことを見つめている。今の彼には自分の指示が一番正しく、正確なものとして受け止めて疑ったりすることなどはきっとないのだろう。かつて鬼道を絶対的なものとして尊敬していたあの頃の自分に思わず重ね合わせてしまった。果たして自分は鬼道のように上手くキャプテンとしてトップに立てているのだろうか。指示を出し終えた後、佐久間は思わず左腕のキャプテンマークを反対の手で握りしめた。
 そんな佐久間の後姿を源田が心配そうに見守っていたことに佐久間は気がついていなかった。





 源田が佐久間のことを気にかけるようになったのは、佐久間がキャプテンに任命される少し前からだった。

 佐久間は世宇子中に敗退し、入院している時に相部屋だった。最初の数日は口を開いては「悔しい」「まさかあんなにも惨敗するとは」と嘆いて天井を眺めているばかりだった。源田も自身がゴールを許してしまったせいで敗退したのだと自責の念に駆られ、佐久間の隣で自分を責めた。帝国学園四十年無敗の記録を守るため努力を惜しまずに練習に励んできたが、こんなにも歯が立たない試合は初めてだった。
 試合が終わって目にした仲間の姿は、勝利に喜ぶ姿ではなく、負傷し苦しむ姿や圧倒的な強さを目の当たりにして絶望する姿ばかり。仲間のあんな顔を見るのはこれっきりにしてしまいたい。別の病室で同じように入院している仲間たちの顔を思い浮かべると、苦しくなり、源田は思わず天井を睨んだ。
 入院した時から天井ばかり見つめている佐久間も同じ気持ちなのだろうか。視線だけ佐久間の方へと寄越す。天井を見上げていた佐久間はその視線に気が付いたのか、佐久間も源田に視線だけ寄越すと弱弱しい声で名前を呼んだ。

――なあ、源田。

――どうした。

――世宇子に負けたのは、……やっぱり、俺が弱かったからなんだよな?

――お前だけのせいじゃない。ゴールを最後まで守り切れなかった俺に責任は十分にある。

――そんな、お前だけが責任を感じる必要なんてないだろう?

――その言葉、そっくりそのまま返させてもらう。

 源田が言葉を返すと、佐久間は驚いたようにして目を見開いた。そして食いしばっていた口元を少し緩めて、ほんの少しだけ表情が穏やかになったように見えた。

――そうか、サッカーはチーム戦だったよな。

――ああ。

――俺は、そのことをすっかり忘れてしまっていたのかもしれない。

――……。

――俺、来年こそはこのチームで勝ちたい。このチームで強くなって、勝ちたいんだ。

 そう言い切った佐久間の視線は真っすぐに、源田を見ていた。源田も顔を佐久間の方に向けて視線がかち合うと、強く頷いた。

――ああ。来年こそは、絶対に勝ってこの悔しさを晴らしてやろうじゃないか。

――来年こそは優勝できるように、皆で一緒に頑張らないとな。

 本人の中で折り合いがついたのか、言い切ると視線を再び病室の天井に向けた。その横顔は少しだけ気が晴れたような顔をしているように見えた。

 源田は病室で佐久間と話して、佐久間が色々と考え、自分を責めすぎてしまう部分があるところを見つけた。自分自身も、他人のせいにしてしまうことは皆無で自分の行動を振り返り、反省することが多いが、佐久間はそれ以上に自分を責め込んでしまう部分があるような気がした。
 これは、もしかしたら同じ病室で過ごしていなかったら気が付くことはなかったのかもしれない。源田はすべてを自分のせいだと受け入れて、黙ってすべてを背負い込んでしまう瞬間の佐久間には今にも消えてしまいそうな脆さがあるように感じた。

 その数日後、源田は鬼道から病院の屋上へと呼び出された。
 「佐久間には黙って来てくれ」とだけ文章が打たれているメールを鬼道から受信し、同室の佐久間には適当な理由をつけて病室を後にした。鬼道からの用件は何となく見当がついていた。病院の屋上へと繋がる薄暗い階段を登る。屋上へと繋がる扉に手をかけて開けると、真っ赤なマントを風に靡かせながら鬼道が待っていた。窮屈な病室と違い、頭上に広がる青空がひどく眩しく感じて一瞬だけ目を凝らした。

「思ったよりも早かったな」

 鬼道は帝国に居た時と変わらない笑みを浮かべ、快晴をバックに腕を組んで立っている。

「鬼道……」

「今日はお前に相談があってな」

「相談?」

「ああ、次の帝国のキャプテンのことなんだが……」

 鬼道、そして監督だった影山をも失った帝国学園は監督探しは一旦保留になったが、早急に次のキャプテン兼トップとしての指導者を決める必要があった。そこでキャプテン後継者として鬼道が目を付けたのが自らの参謀を務めていた佐久間だった。
 鬼道に相談を持ち掛けられ、佐久間が新キャプテンに就任することに対して異論はなかった。意外性や驚きもなかった。チームの結果に正面から向き合い、受け止め、そしてチームのために色々と志向を巡らせる彼の姿は正に次期キャプテンとして相応しいのではないかとすら思えた。

「佐久間がキャプテンか……。佐久間なら、帝国のために力を尽くしてくれるに違いない」

「決まりだな」

 ニヤリと口を歪ませ、鬼道が笑った。おそらく鬼道は源田に相談するよりも、ずっと前から佐久間を次期キャプテンにしようと決めていたに違いない。相談というよりも、まるで決定事項を聞かされているような気分だった。
 佐久間が鬼道よりキャプテンに任命されたのは、それから間もなくしてのことだった。




 いよいよ、佐久間がキャプテンマークを腕につけて挑んだ初めての練習試合の日。相手チームは特別強豪と呼ばれている学校ではなかったが、自分が初めてキャプテンを務める試合とだけあって、キャプテンマークを巻く指に緊張からか思わず力が入った。
 佐久間をはじめ他のメンバーも世宇子中と対戦した時の傷もすっかり癒え、まだ万全とまではいかなかったが、ようやく身体も痛みを伴うことなく動くようにまで回復していた。病室で寝てばかりの生活を終えた佐久間たち一行は、それまでの分の遅れを取り戻すため、まずはこの連中試合での勝利を目標にして皆懸命に練習に励んできた。
 これから挑む久しぶりの練習試合を前に、皆の面持ちも緊張で強張っているようだった。

「今日の練習試合、帝国の復帰戦としても負けるわけにはいかない。みんな、分かっているな?」

 佐久間がスタメンの前で本日の意気込みを力強く問いかける。

「おう!」

 佐久間の問いかけに一同が元気よくはっきりと返事をした。皆、佐久間が次期キャプテンに就任と伝えてからは、今までは先代のキャプテンである鬼道の参謀として努めていた彼を好意的に次期トップとして受け入れてくれているようだった。佐久間を見つめる帝国メンバーの顔は頼もしいもので、その表情を見て少し安心したと同時に、このメンバーたちをこれから引っ張っていかなければいかない立場になったのだということを改めて実感した。そして、それがプレッシャーにも似た圧に感じ、さらに気を引き締めなければいけないと思わせられた。しかし、それは自分だけではなく鬼道にも、今まで何度もこのような思いをするようなことがあったのだろう。鬼道はそんな感情さえも自分たちに見せず、何度も的確な指示で自分たちを救い上げ勝利へと導いてくれた。

(俺も、そんな風になれるのだろうか)

 思わず握りしめた拳に自然と力が入る。これまで努めてきた参謀と鬼道が努めていたキャプテンとでは役割が大きく違う。これからは佐久間が自らがチームを勝利へ導くための作戦を練り、チームメイトたちへと伝達しなければならない。
 久しぶりに違う学校と戦える新鮮さや嬉しさ。相手チームに勝利するためのカギを握っているのはキャプテンマークをつけている自分ににかかっているというプレッシャー。さまざまな思いがこみ上げてくる中で、佐久間はゴクリと生唾を飲み込むとグラウンドへと足を踏み入れた。



 強豪校相手ではないとあって苦戦せずに勝てると思っていた試合だったが、接戦となり激しい攻防戦に発展した。佐久間は試合中に何度も戦略を立て直そうとしたが、チームメイト全員に指示を出すまでは叶わずにチームメイトがフォローするような場面も少なからずあった。そんな中、キーパーの源田がゴールを割らせまいと奮闘し最後までゴールを守り抜いたお陰で何とか勝ち星を上げることができた。
 皆は「病み上がりで不安だったが勝ててよかったぜ」「久しぶりに白熱した試合でしたね」等、満足そうに口々に話していたが、佐久間の中では腑に落ちないところがあった。「お疲れ様でした」と帝国の室内グラウンドを後にするチームメイトたちへ各々に元気なく「お疲れ」と言葉を返す。チームメイト全員の背中を見送った後、佐久間はサッカーコートの傍らにあるベンチに乱暴に腰かけ、うつむきながら両方の拳を力いっぱいに握りしめた。誰もいないグラウンドには佐久間がベンチに座った時の衝撃音だけがただ響くだけで、すっかりと静まり返っている。

(――この試合、俺にもっとキャプテンとしての力があればもっと余裕をもって勝つことができた筈だ!)

 涼しそうな顔をしながらも出す鬼道の指示はいつだって臨機応変で素早く、正確なものだった。参謀としてその姿を近くで見てきたつもりだったが、何も自分の役に立てることは出来なかった。鬼道のそばにいて、一体自分は何をしてきたのだろう。なぜ、あんなにも側にいた鬼道のようになれないのだろうか。

「まだここにいたのか」

「!」

 突然上から降ってきた、聞き慣れた低い声。顔を上げると、源田が心配そうな顔をして立っていた。源田のユニフォームは先ほどの激しい攻防戦のせいで薄っすらと汚れている。

「源田……」


「今日の初キャプテンとしての試合、勝ててよかったじゃないか。何をそんなに悩んでいるんだ」

 源田が佐久間の隣に腰を下ろした。そして、佐久間の緊張を解くように佐久間の肩を何度か軽く叩いた。しかし、それでも佐久間の緊張が緩むこともなく、佐久間は源田の心遣いに一層顔を強張らせた。握りしめていた拳にもより力が入った。

「今日の試合に勝てたのは……お前と、負けないようにと帝国の誇りをかけて試合終了のホイッスルが鳴るまで頑張り続けてくれた皆のおかげだ」

 呟くような佐久間の言葉を源田は頷くこともせずに黙って聞いている。佐久間は源田の相槌を待たずに続けた。

「それに引き換え俺は、皆の役に立てた気がしない。次の動きやフォーメーションを考えることに手一杯でボールを目で追うことしかできていなかった。こんな俺が、キャプテンで……」

 そこから先は言えなかった。否、源田に言わせてもらえなかったといった方が正しいだろう。最後の言葉を言おうか迷っている間に、源田の大きな手の平が佐久間の口を封じていた。

「俺は佐久間がキャプテンになったことは間違いじゃないと思っている。そして、今日のお前を見て責める気にもならない。お前が一生懸命頑張っていたところを、俺はゴールから見ていた」

「……源田」

 源田の瞳は真っすぐで、その真剣な瞳から目線を逸らすことは出来なかった。源田の低く落ち着いた声がはっきりと耳に伝わってくる。
 佐久間は源田からの言葉を聞いて、何も言えなかった。源田がキャプテンとして自分を認めてくれていることへの嬉しさや、そんなに源田から評価されるほどの活躍を出来ていなかったようにも感じる自分への源田からの評価の大きさ。源田からの励ましを全て素直には受け止められず、ただただ戸惑うことしかできずに源田の瞳を見つめていた。

「佐久間。俺は佐久間がキャプテンとなってつくり上げる帝国を一緒につくっていきたいと思っている。一人で全てを抱え込む前に、少しだけでもお前の気持ちを俺に教えてくれないか」

(俺がつくり上げる帝国……)

 源田の言葉を胸の中で静かに反芻する。
 キャプテンに就任することになったとき、佐久間の中では鬼道がつくり上げていった帝国を守り、この先も継いでいきたい気持ちが大きかった。それはともに戦い、隣で見てきた鬼道のサッカーが好きだったから。だからこそ鬼道のサッカーを継げるようにと、鬼道がしてきたメニューを積極的に行い、練習にも取り入れてきた。「鬼道がやっていたメニューなら大丈夫」だと、それはお守りのように似たような感覚に近かったのかもしれない。
 自分がつくり上げていくサッカー、とは。今まで追いつきたくて、しかし同じ世界を見ることも叶わなかった鬼道の残り香を手探りで探すようにして追ってきた佐久間には、すぐに具体的なイメージが浮かんでこない。

「俺は鬼道が抜けたからといって、帝国は弱くなるようなチームではないと思っている。それは今日の試合でお前もよく分かった筈だ」

 佐久間は源田の言葉に静かに頷いた。思い返せば今日の試合は自分が全て指示を出さずとも、連携が取れているように感じた上に、何人ものメンバーが慣れない指示を出そうとしていた自分のフォローに回っていた。

「……源田、……ありがとう」

 口に当てられていた大きな手のひらを外して、佐久間は小さく源田に礼を言った。今日の試合で上手くいかずに自分を責め、沈んでいた気持ちが少しだけ軽くなったような気がした。
 

□□□

 

 気がつけば放課後や練習が始まる前も源田が常に隣にいるようになった。練習メニューの相談や試合日程の確認等も一緒に行うようになっていた。キングオブゴールキーパーと呼ばれ、試合中頼りにしていた源田がサッカーコートの外でもとても頼もしく感じるようになっていた。源田は佐久間が考えていることがすべて口にしなくても伝わっているのか、試合中もアイコンタクトで連携して指示を出せるまでになったくらいだ。
 源田と一緒に戦略を練ることも増え、ゴールキーパーならではの意見や考えなどを知ることもできて新たな収穫も増えた。そのおかげで戦略の幅も広がり、対策としての配置のレパートリーも増えていっているように感じる。源田の冷静な分析能力は戦略を練る上で佐久間の大きな支えのひとつとなった。

「――この状態だとDFの守備が甘くなる可能性があるが、何か対策はできないか」

 タブレット端末上に表示された仮想のシミュレーションデータを睨みつけながら、佐久間が眉にしわを寄せた。源田も腕を組み、黙って同じ画面を睨みつけている。
 放課後、練習後のふたりだけの作戦会議中の部屋はすっかりと静まり返り、時計の音だけが室内に響いている。外もすっかり暗くなり、そろそろ下校時間も迫っている。時計の秒針が思考を巡らせているふたりをより一層焦らせた。

「もうこんな時間か。今日はここまでにして、続きは明日にするか」

「そうだな」

 佐久間の言葉を合図に、ふたり同時に立ち上がった。帝国の門が閉まるまで、あと十五分もない。

「こんな時間まで付き合わせてしまってすまない」

 急いでユニフォームから制服へと着替えながら佐久間が源田に謝る。源田はいつも試合が終わった後でも、嫌な顔一つせずに佐久間の作戦会議に参加してくれている。

「気にするな」

 そう返す源田の顔はいつだって穏やかで、先ほどまでの練習の疲れを微塵も感じさせない。

「源田。お前は何故こんなにも俺のことを気にかけてくれるんだ?」

 それは日頃から思っている疑問だった。源田はいつも佐久間の隣に立ち、キャプテンとして皆を引っ張っていこうと奮闘している佐久間のフォローをしてくれている。今日のこの時間だって、朝練習はもちろんのこと学校がない週末もサッカーに打ち込む部員にとっては数少ない自由な時間だった筈に違いないのに、源田はこんな時間まで作戦会議に付き合ってくれている。佐久間としてはこれほど有難いこともないのだが、源田の貴重な時間を割かせてこんなにも自分のキャプテン業務に付き合わせてしまっていいのかと時折悩むこともあった。

「それは、お前のことが好きだからだ」

 急に耳元で源田の声がしたと思うと、自分のものではない体温を身体中に感じた。
 突然の慣れない感覚に恐る恐る顔を上げる。源田が佐久間の身体を覆うようにして抱きしめ、真剣な顔をして見つめていた。

(――あの日と同じ目だ――……)

 キャプテンになって初めて挑んだ練習試合で落ち込んでいた佐久間の元へ訪れた時と同じ、真っすぐな瞳をしていた。あの日と同じで、源田の力強い視線から目を逸らせない。
 源田から伝わる視線や温もりから、源田が自分に対してどういう気持ちを抱いているのかはっきりと分かった。決して源田のことは嫌いじゃない。どちらかと言わずとも好きだ。いつだって側にいて、力を貸してくれる源田が好きだ。しかし、佐久間の「好き」と源田からの「好き」という言葉は意味が違うように感じた。好きだけど、嫌いではない。突然の告白にどうしたらいいのか分からない。戸惑いを隠せずに源田を黙って見上げることしかできず、少しの間沈黙の時間が流れた。
 そうなることなど今まで一度も考えたことなどなかった筈なのに源田の体温や、彼から抱きしめられているという事実に対しての嫌悪感は不思議となかった。どこか落ち着くような安心感すら感じたが、佐久間は静かに自分を抱きしめている力強い腕を解いた。

「悪い……。俺はお前と、そういうふうになることを考えたことがなくて……」

 歯切れ悪く、俯きながら返事をした。そして、源田を置いて部室から逃げるように走り去ってしまった。源田の顔は、怖くて見れなかった。
 源田の真剣な気持ちは痛いほどに伝わってきていた。だからこそ、そういうふうに考えてくれている相手に対して流れに流されて「俺も好きだ」と返すような、そんな中途半端で不誠実な真似はしたくなかった。
 帰り道。走ることなんて部活の走り込みで慣れている筈なのに、心臓がバクバクと音を立てて静まらない。寒空の下、走って火照った身体が自分のものではない体温を思い出させる。立ち止まって、先ほど源田を見上げていた時と同じように顔を上げてみたが、そこに源田の顔などある筈もなく、天高くに無数の星空が広がっているだけだった。



「昨日は急に怖がらせるような真似をしてすまなかった」

 朝練習のため、早くから部室へ入ると源田がいの一番に佐久間の元を訪れ、頭を下げた。
 佐久間が来るまでどれ程待っていたのだろう。早めに部室入りした佐久間が制服姿であるにも関わらず、源田は既に着替えも済ませており、ユニフォーム姿だった。佐久間に謝るためにこんなにも早い時間から待っているとは、何と律義なのだろう。まったく、源田の誠実で真面目なところには感心させられる。
 佐久間は源田の申し訳なさそうな罪悪感が滲み出ている顔を見上げると、「大丈夫だ。気にしていない」とだけ返事をした。続けて「もうすぐ他の部員も来る筈だ」と素っ気なく告げ、自分のロッカーへと向かった。
 しかし、当然佐久間が昨日のことを気にしていないわけなどなかった。夕食を食べていても、湯船に浸かっていても、ベッドで横になろうとしても思い返すのは源田のことばかり。果たして、あんなふうに急に抱きしめられ、告白されて気にしない者などいるのだろうか。学校の校則のこともあるが、今までサッカーにだけ情熱を注いできた佐久間としてはそういう感情について考える機会など皆無だったため、より一層源田からの気持ちをどのように受け止めたらいいのか分からず悶々とした夜を過ごすこととなった。もしかしたら、相手が他の見ず知らずの人だったら簡単に忘れることができたのかもしれないが、相手は源田だ。思えば、家にいる時間以外をほとんどをクラスメイトでもある彼とともに過ごしてきた。
 そんな日々の中で彼は自分のどこを好きになったのだろう。また、彼から見た自分はどのように映っていたのだろう――

「キャプテン、おはようございます」

「おはよう」

 さまざまな思考を巡らせながらユニフォームに着替えていると、続々と部員たちも部室へと入ってきた。そうだ。恋愛なんて、そんなことを考えている暇なんてない。ユニフォームに着替え終わった佐久間は何に対してでもなく首を横に振った。

(今は朝練習で行うミニゲームのチーム分けに集中しなければ……!)




 あの日、朝一番に源田の謝罪を受けて以来、あの話は話題にも上がらず、また、佐久間からも触れないようにしていた。源田とはあの時の告白などなかったかのようにして接している。源田があの日告白してきた時と同じ気持ちを未だに抱き続けているのかは分からない。そんな源田と過ごす中で佐久間は源田に対して不思議な気持ちを抱くようになっていた。

「あ……」

「ん?」

 キャプテンである自分に協力するために居残ってくれている源田と作戦会議中に目が合った。その視線は以前と変わらないものの筈なのに、何故か手元の資料へと目線を戻さずにそのまま思わずじっと見つめ返してしまった。

「……佐久間?」

「いや、何でもない」

「そうか」

 源田が心配そうにしていたが、何ともないふりをした。源田の顔を思わずじっと見ていたなんて、一体どのように説明したらいいのか分からない。ここ最近源田を見ると、自然と目が彼を追ってしまうようになっていた。それはふたりきりの作戦会議の時や部活中だけでなく、授業中も小テストを解き終えると、気がつけば目線で彼を探すようになっている。その頻度は徐々に徐々にと増えていっているような気がした。もしかすると、彼がこの目線で追っていることに気づくのは時間の問題かもしれない。たまにふと合う視線が、嬉しく感じる。一緒に過ごす時間が多い日は、自然と気分も晴れやかになるような気がする。源田と過ごす穏やかな日々の一日一日がとても楽しく、家へ帰るともう明日の部活のことを考えるようになっている自分がいた。
 それと同時に、源田が他の人と楽しそうに話していると何とも言えない気分になることも増えた。源田が誰と話していようが源田の自由だというのに。何故かそういうシーンに遭遇すると、心の中で小さな鉛のような重たい気持ちが溜まっていくような感覚に陥るのだった。他の人へは向けたことのない、この重たい不快感が理解できずにいたが、もしかするとこれは「嫉妬」というものなのではないのかという結論に、誰に相談するわけでもなく至った。
 
(俺は源田のことを好きになったのかもしれない)

 あの日抱きしめられて告白されるまでは源田に対して、側にいると居心地の良い頼れる仲間だという認識でしかなかったが、間違いなくあの日から源田に対しての気持ちが少しずつ膨らんでいっているように感じる。流石にあの次の日は「俺も好きだ」と返事をできるほどの確信を持てずに気にしていないふりをしてしまったが、今では佐久間も源田のことが「好き」だ。叶うことなら、またあの時のように源田の体温を感じることができたらいいのだが、源田からはあれ以来まったくそんな素振りを見せてはくれない。さりとて、佐久間から源田へ気持ちを伝えるにもどのように切り出したらいいのか分からず、ただただ胸の高鳴りを隠しながら源田と穏やかな毎日を送っていくことしかできなかった。
 夕暮れのふたりしか残っていない部室の窓際で、タブレット端末を前にさまざまな思考を巡らせている源田の顔を盗み見る。端正な整った顔を険しく歪ませ、色々と次なる戦術を考えているのだろう。自分ひとりだけでなく、源田も一緒にこうして協力してくれているおかげで試合の支配率も徐々に高くなってきている。

「ここで、このDF陣の動きが――」

「……!」

 タブレット端末上の仮想シミュレーションの配置を変えようと手を伸ばすと、同時にタブレット端末に延ばされた源田の大きな手の上に佐久間の手が重なってしまった。

「悪い」

 佐久間は謝ると、慌てて伸ばした手を引っ込めた。前まではこんなことがあっても何とも思わなかったが、今では変に意識をしてしまって駄目だ。しかし、あまりに不自然に手を引いてしまった佐久間のことを源田は黙って見つめていた。

「やはり、まだあの時のことが……」

「源田?」

「あの時は急に早まった真似をして、お前を怖がらせてしまってすまなかった。俺に気を遣って「気にしていない」とお前は言ってくれたが、本当は今でも俺が怖いんじゃないのか?」

 源田の低い声が誰もいない部室に響く。声のトーンは明らかに先ほどよりも低くなっている。

「違う!」

「悪い、佐久間。あの告白は聞かなかったことにしてくれ、……というのは流石に俺に都合がよすぎるな……」

「何故だ?」

 源田の言葉を遮るようにして、佐久間が強く返す。

(あの告白を、忘れてくれだと?)

 そんなこと、できるわけもなかった。ここであの告白をなかったことにするということは、源田はもう自分のことが好きじゃなくなってしまったのではないかと思うと、居ても立っても居られず、強い口調のまま佐久間は続けた。
 
「もう俺のことは好きじゃなくなったのか?」

 佐久間は椅子から立ち上がると、源田に詰め寄った。源田も佐久間が近づくと同時に椅子から立ち上がり、まじまじと動揺した様子で佐久間を見つめた。佐久間も源田の目をじっと見つめ返した。

「お前がそばに居ると嬉しくて、お前が誰かと話していると何故か不安な気持ちになる」

「……佐久間?」

 源田から戸惑いの色も含まれた様子で声を掛けられたが、佐久間は構わずに続けた。

「あの告白を受けてから、お前と話していると胸がざわついて落ち着かないんだ。俺はこの気持ちをどうしたらいいんだ?」

 佐久間は源田の自分よりも一回りは大きな手首を掴むと、そのまま源田の手を自分の左胸に当てさせた。

「お前にはこの胸の音が伝わるか?」

 源田の手を両方の手でぎゅっと自らの胸に押し付けさせる。今、こういう風にしている瞬間も心臓の音はうるさく、高まった気持ちが抑えられそうにはない。むしろ、慣れないことをしていることもあり、余計にうるさくなったようにも感じた。
 源田は何か言いたげな顔をして佐久間の胸に触れている。何か言ってくれ。そう願うも、源田は黙ったまま口を開こうとはしない。源田に気持ちを伝えるために思わずとってしまった突拍子もない、自分らしくもない行動に穴があったら入りたいような気分だが、もう、あとには引けない。佐久間はいつになく弱弱しい面持ちを浮かべながら、源田を見上げることしかできなかった。

「きっと、俺も同じ音がしている筈だ」

 源田はそう口を開くなり、佐久間を抱き寄せて自身の左の胸に押し付けた。あの日と同じ体温を感じながら、耳を澄まして源田の胸の鼓動を必死に探した。自分と同じくらいの早さで心臓がドクドクと音を立てているのを感じる。

「どうだ、聞こえるだろう?」

 源田からの問いかけに佐久間は静かに頷いた。

「……俺と同じくらい早いな」

「そうだろう。俺も、今でもお前と同じ気持ちだからな」

「源田……」

「すまない。お前を混乱させてばかりだな。お前を困らせて気を遣わせてしまうくらいなら、あの告白はなかったことにしたかったが、やはり無理だった」

 源田が申し訳なさそうに謝る。佐久間は源田の腕の中で静かに頭を横に振った。
 顔を上げると、源田が愛しそうに佐久間の顔を覗き込んでいた。

「佐久間、いつも一生懸命なお前のことが好きだ」

 二度目の告白を受け、何とも言えない幸福感を感じる。
 好きな相手と結ばれることが、これほどまでに嬉しいことだったのかということを初めて知った。熱っぽい視線は甘く真っ直ぐで、佐久間の心を満たしていくには十分だった。

「源田、ありがとう」

「礼を言うのは俺の方だ。ありがとう」

 交差する視線がお互いに照れ臭く感じ、恥ずかしさを隠すようにやさしく微笑み合う。お互いに抱きしめあっている腕には力が入った。
 全身を源田の温かな体温すべてに包み込まれるような感覚は、やはりあの日と同じでどこか安心する。自分から気持ちを伝えておきながら「好きだ」とまでは言えなかったが、源田には十分に伝わっているに違いない。暫しの間、言葉はなかったがお互いの気持ちを胸いっぱいに存分に味わって、幸せの味をかみしめた。



 朝。いつものように朝練習が終わった後に「最近、調子がいいみたいだな」と辺見に声を掛けられた。佐久間自身、キャプテンを任された直後よりも少しずつ試合やミニゲームの時の視野が広がっていっているように感じていたため、辺見からの言葉はとても嬉しく感じた。まだこの左腕のキャプテンマークが様になっているとまではいかないかもしれないが、それでも初めて着けて鉛のように左腕が重く感じていた時よりは、少しずつ鬼道が着けているときに近づけているような、そんな気がしている。まだまだ「天才ゲームメーカー」と呼ばれていた鬼道のようには上手くいかないことも多い。しかし、源田が隣にいる心強さや頼もしい仲間たちのおかげで少しずつ前に進めていっているように感じている。
 そのおかげか、何度も見ていたキャプテンマークを鬼道から受け取った日の夢に続きができた。キャプテンマークを受け取った佐久間の隣には源田が、後ろには新しいキャプテンを任された佐久間を歓迎する仲間たちが待っている姿が見えるようになっていた。
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2019/02/26


 

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